身体評価はサイエンスで構築されるべき理由とは

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何かを前へ進める時、まずは現状把握が欠かせない。
 
現在地があってこそ、目的地への道筋が明確になる。
 
ヒトの体を改善するにあたっては、現在の科学でも分からないことが多いからこそ、その評価は重要である。
 
評価は多くの場合、複数項目を掛け合わせることで問題が浮かび上がってくることが多い。
 
たった1つの評価では、判断を誤るという意味で結論を導きにくい。
 
そして、同じ評価結果が出たのであれば、その解釈も皆が同じであることが理想である。
 
それはなぜか?評価はどうあるべきか?
 
それを考えていきたい。
 
 
評価の読み解きは、誰が行っても同じでなければならない。
 
なぜならば、どこが問題なのか?を突き止めていく行為が評価であるからである。
 
医者が健康診断のデータを見て、バラバラなことを言うことはOKであるか?答えは言わずもがなである。
 
また、「車が動かないから修理してほしい」という動因をあなたが抱えていたとする。
 
修理工は車のボンネットを開けたり、エンジンを掛けてみたり様々するだろう。
 
 
その結果、働きが悪いところがいくつか見つかったとする。
 
まずは、それらのことを統合し車の状態を明らかにするだろう(全体像の把握)。
 
しかし、車が動かない理由はそれら全てが問題ではない。動因に直接起因している問題点から修繕するというプランを立てるはずだ。
 
正しく問題点の読み取りが出来なければ、問題解決に対する最重要ポイントを明らかにすることは難しい。
 
そして、同じ解にたどり着かないのであれば、直せる人、直せない人が生じることとなる。
 
上記の事から、評価の読み解きは一定であるべきと言える。
 
 

プログラミングはサイエンスをアートで彩る

対して、プログラミングには多少の余白があって良い。
 
なぜなら、結果が得られれば、やり方はなんでも良いからである。
 
マッサージで治るならそれも良し、鍼、リリース、オプテオパシー、食事療法、エクササイズ…何でも良い。
 
 
しかし、そこには理論的根拠がなければならない。
 
評価で得たデータ(サイエンス)に対し、その改善も理論的根拠(サイエンス)に基づいたものであるべきである。
 
医者があなたの癌を治療する際には、臨床に基づいたデータを根拠にその対策を講じるだろう。
 
アートという点に関して追記すると、パーソナルトレーニングにはエンターテイメントという観点が入る。
 
医者が癌の治療にエンターテイメントを持ち込むことは恐らくないだろうが、これにはある。
 
その点に関しては、自由度を高く保って良いと考える。
 
学習理論、脳の可塑性を考えても、挑戦的、志向的である必要がある。
 
これらを達成するためには、プログラムデザインに創意工夫が必要であり、その都度で変化させる必要もある。
 
そのため、プログラミングはサイエンスに基づき、アートの要素が必要なのである。
 
 
この記事を書いた人
鈴木 孝佳

アスレティックトレーナー兼プロダクトマネジャー。
自他ともに認める健康オタク(最近、生命線が手首を突き抜けている事に気づいた)
音楽が好き。(ギター、ドラム、カラオケを嗜む)
休日には、東京の美味しいものを探しに。

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